2025年度灘中学算数(1日目)の4番の問題の解説

こんばんは、スタッフのUです。

関西では先週の土曜日から中学受験が本格的にスタートしました(例年、共通テスト(元・センター試験)と同じ日に始まります)。

私は毎年灘中学の算数の1日目の問題だけは解いているのですが(灘中学の入試は2日間日程)、今日はそのうちの1問の解説をしてみたいと思います。

灘中学算数(1日目)4番

2025は9の倍数でも25の倍数でもあり、4つの位の数のうち1つだけが0です。4桁の整数のうち、9の倍数でも25の倍数でもあり、4つの位の数の1つだけが0であるものは2025を含めて全部で⬜︎個あります。

例年、灘中学の算数の1日目の1番の計算問題では、その年の西暦の年号を含む計算が出題されますが(今年は2.025という数字が含まれていました)、今年はこの4番でも「2025」という数字に関わる問題が出題されています。

過去にもこのブログで何度か倍数判定法に触れてきましたが、9の倍数は「各位の和が9の倍数」であり、25の倍数は「下2桁が00か25か50か75」です。まずどちらに注目する方が先の見通しが立ちやすいかですが、4桁のうち2桁を決定できる25の倍数判定法から注目する方が圧倒的に効率的でしょう。

25の倍数は「下2桁が00か25か50か75」ですが、「00」は0が2つなので「4つの位の数の1つだけが0」という問題の条件に合いません。つまり下2桁は25か50か75のいずれかです。

これで、求める4桁の数は⬜︎⬜︎25,⬜︎⬜︎50,⬜︎⬜︎75のいずれかの形と絞り込むことができます。

i ) 4桁の整数がAB25と表される場合(Aは1以上9以下の整数,Bは0以上9以下の整数)

問題の条件に「4つの位の数の1つだけが0」とありますので、0になるのは百の位のBしか考えられません。つまり、この4桁の数はA025という形になることがわかります。

ここで9の倍数判定法を考え合わせると、A+0+2+5が9の倍数となりますが、18以上の9の倍数になることはあり得ませんので、A+0+2+5=9で、A=2、つまり求める4桁の整数は20251個のみとわかります。

ii ) 4桁の整数がAB50と表される場合(Aは1以上9以下の整数,Bは0以上9以下の整数)

問題の条件に「4つの位の数の1つだけが0」とあり、すでに0は一の位で使われていますので、A,Bはともに0でないことがわかります。

ここで9の倍数判定法を考え合わせると、A+B+5+0が9の倍数となりますが、27以上の9の倍数になることはあり得ませんので、A+B+5+0は9か18のいずれかです。

 a ) A+B+5+0=9、つまりA+B=4の場合(A,Bはともに1以上9以下の整数)

  A,Bの組み合わせは、(A, B)=(1, 3), (2, 2), (3, 1)の3通り、

  つまり求める4桁の整数は、1350,2250,31503個です。

 b ) A+B+5+0=18、つまりA+B=13の場合(A,Bはともに1以上9以下の整数)

  A,Bの組み合わせは、(A, B)=(4, 9), (5, 8), (6, 7), (7, 6), (8, 5), (9, 4)の6通り

  つまり求める4桁の整数は、4950,5850,6750,7650,8550,94506個です。

iii ) 4桁の整数がAB75と表される場合(Aは1以上9以下の整数,Bは0以上9以下の整数)

問題の条件に「4つの位の数の1つだけが0」とありますので、i )と同様、0になるのは百の位のBしか考えられません。つまり、この4桁の数はA075という形になることがわかります。

ここで9の倍数判定法を考え合わせると、A+0+7+5が9の倍数となりますが、A+0+7+5=18となる場合、つまりA=6の場合しかあり得ません。つまり求める4桁の整数は60751個のみとわかります。

以上、i ) 〜iii )より求める整数は1+3+6+1=11(個)とわかります。いかがでしたでしょうか。

問題を考えるにも優先順位の付け方によって手間は大きく変わってきますね。私どもも今年も仕事の優先順位づけをしっかり行い、持てるリソースを出来うる限り効率的に医療に提供できるよう取り組んでまいりたいと思います。

阪神淡路大震災からもうすぐ30年

こんばんは、スタッフのUです。

阪神淡路大震災からもうすぐ30年になります。被災した当事者の方々からすれば自身の記憶が薄れていく方が喜ばしくもあるとは思いますが、社会としては記憶が風化していくことは必ずしも喜ばしいことばかりではなく、当時の教訓がちゃんと語り継がれていくことも大事なことだと思います。

今日は、当時私自身が体験したことと、そこから得られるささやかな教訓について書きたいと思います。

私は当時兵庫県伊丹市の実家で被災しました。私の実家から1kmほどの距離のところにある阪急伊丹駅は倒壊し、この震災を象徴するものの一つとして震災当日からしきりにテレビで取り上げられました。

さて、問題は当時のテレビによる取り上げ方です。私の実家の地域は発災後まもなく電気は復旧したので(ガスの復旧にだけ数日かかりました)テレビは見られる状態だったのですが、各テレビ局はこの阪急伊丹駅「だけ」が映るような形でニュースを流していました。実は、阪急伊丹駅周辺のビルは(ガラスが割れているところはあったものの)傾いたり倒壊しているものは一つもなかったのですが、テレビはそれらをカメラの画角から外し、震災の悲惨さを象徴する駅だけを映して流していたのです。

阪急伊丹駅近くに住んでいて、地震の当時北海道にスキー旅行に行っていた私の同級生は、その倒壊した伊丹駅の映像を宿のテレビで見た際に、自分の家族が死んだと思い全身の血の気が引いた、と後に語っていました(幸い彼の家族は全員無事でした)。つまり彼は、倒壊した駅だけの映像を見て(自分の実家も含めた)伊丹市全体が崩壊したという印象を抱いたのです。

それは愛媛県に住む私の母方の親戚も同様でした。朝テレビをつけると、1階部分が完全に押し潰された阪急伊丹駅の映像が流れている。安否確認のため私の家に電話をしたけれどまったく繋がらない(当時は携帯電話が普及する前で、この震災後は電話回線が輻輳し震災地域では発信も受信もままならない状況が続きました。もちろん、インターネットの利用も一般にはまったく普及していなかった頃です)。私たちの方からも無事を伝えるために電話をしようとしましたが、それも繋がらない。「U (私)の家は潰れて全員死んだに違いない」、私の親戚一同そう思い込んだと言います。発災の日の夕方にようやく電話が繋がった際、「あああ…生きとったかぁ…!!!」と泣き崩れた伯母の声は今でもはっきりと覚えています。

思わず長い話になってしまいました。

マスコミに限らず、私たちはついつい刺激が強いものにばかり目を向けてしまいがちですが、それでは全体像を見失うことになりかねません。自分の体調などにしてもそうだと思います。人間のからだやこころはなまものですので、大きな事柄の裏にたくさんの小さな事柄が起きている可能性もあります。そういう、隅々にまで視線を行き届かせる姿勢を、今年も大切にしていきたいと思います。

本年も何卒よろしくお願いいたします。