鼻行類

こんばんは、スタッフのUです。

みなさんは「鼻行類」という動物をご存知でしょうか?

ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類 新しく発見された哺乳類の構造と生活』日高敏隆・羽田節子: 訳 (平凡社ライブラリー)

という本で世界に紹介された、かつて存在していたという「鼻で歩く哺乳類」です。

原著の正式な題名は「Bau und Leben der Rhinogradentia」(「鼻行類の構造と生活」(1961)。1942年にスウェーデン人の探検家エイナール・ペテルスン=シェムトクヴィスト (Einar Pettersson-Skämtkvist)によって発見された鼻行類について、ハラルト・シュテュンプケ(Harald Stümpke)が研究した調査報告書を、シュテュンプケの友人で、ドイツの動物学者であるゲロルフ・シュタイナー(Gerolf Steiner)がまとめたもので、日本語訳は日本の動物行動学の第一人者・日高敏隆が担当しています。

鼻行類(学名: Rhinogradentia、標準和名: ハナアルキ)は、鼻行目(Rhinogradentia)に分類される、哺乳類のいち分類群(タクソン)で、かつて南太平洋のハイアイアイ群島に生息していましたが、1957年に行われた核実験の影響によりハイアイアイ群島は水没してしまったため、その際に鼻行類も絶滅したといわれています。

ハイアイアイ群島は、ニュージーランドにも引けを取らないほどの多くの固有種が見られることから、遅くとも白亜紀後期には大陸から分離した島と推測され、多様な生き物が独自の進化を遂げており、鼻行類はモグラやハリネズミの系統から分化・進化してきたものと考えられています。

以下で触れるように、鼻行類は、単一の祖先から、それぞれの環境に適応した多様な子孫が現れ(これを「適応放散」といいます。有名なのは、チャールズ・ダーウィンが進化論の着想を得たガラパゴス諸島のダーウィン・フィンチの例ですね)、『鼻行類』にはその例が豊富に挙げられています。

鼻行類は、鼻を歩行や捕食などに使用していたといわれています。滑って転倒するのを防ぐために鼻で体を支えたのがこの特殊な進化の原因だとする説と、ゴキブリなどの昆虫(これもハイアイアイ群島で独自の進化を遂げたもの)を捕食するために地面に顔をこすりつけていたことが原因だとする説があるそうです。

全14科189種からなるこの鼻行類のいくつかを紹介すると、

ナメクジハナアルキ属: 鼻から分泌した粘液でナメクジのように移動する。

モグラハナアルキ属: 鼻で地面に穴を掘り、土の中で生活する。

ハナススリハナアルキ属: 粘着性の高い鼻水を垂らし、それで魚などを捕まえる。大きさはハツカネズミほど。長い尻尾には毒腺がある。

ハラワタハナアルキ属: 肺が消失するなど著しく退化しており、鼻の付け根から分裂し増殖すると考えられている。

コビトハナアルキ属: ハラワタハナアルキ属よりもさらに退化。身長は約2mm。コビトハナアルキの発見により、プラナリアなどは鼻行類を祖先とするという説が生まれた。

トビハナアルキ属: くの字に曲がった鼻をバネにして、後ろ向きに跳びはねながら移動する。

ダンボハナアルキ属: 巨大に発達した耳で空を飛ぶことができる。

ナゾベーム属: 四本に分かれた鼻を使って歩く。尻尾にガスを充満させることで尻尾を4m以上伸ばし、高いところにある果実を食べる。他の生物に捕らえられると目から涙を流す。

オニハナアルキ属: ナゾベームを捕らえて食べる。

ハナモドキ属: 巨大な尻尾で直立し、花に擬態した鼻で昆虫を集め捕える。

マンモスハナアルキ: 身長は最大で1.3m。発達した四本の鼻で歩き、二本の鼻で植物を引き抜いて食べる。

ナキハナムカデ: 19対の鼻があり、そのうち18対の鼻で音楽を奏でる。

とても興味深い動物ですね!

この本の翻訳が出てから、翻訳者である日高のもとには「『鼻行類』に関してもっと詳しく知りたいが、他に関連論文が見当たらない。君は他の論文を持っていないのか?あるなら読ませてくれ」といった旨の問い合わせが相次いだそうですが、それに対する日高の返答は

「そんなものあるわけないだろ。あれはフィクションだ。」

著書『鼻行類』には、ハイアイアイ群島に暮らす人々の文化や鼻行類研究の歴史なども描かれており、巻末には動物名・人名の索引もあり、参考文献の一覧も充実、鼻行類の系統樹について様々な異論も併記されており、鼻行類の細密画についても、他論文からの引用に起因する違ったタッチの図が混在するなど、論文らしいリアリティに満ち満ちていたため、多くの人があえなく騙されてしまった、というわけです。この日高の返答に何人かの人は激怒し、何人かの人は呆れ果てたとか(それを後年、エピソードとして高笑いしながら語る日高の姿を見かけたことがあります)。

フランスの哲学の世界ではかつて「ソーカル事件」などというものもありましたが、それなりのフォーマットさえ整えていれば人なんて簡単に騙されてしまうものなんですね(ちなみに、ゲロルフ・シュタイナー日高敏隆は実在の人物です。つまり『鼻行類』は、実在の動物学者ゲロルフ・シュタイナーが、ハラルト・シュテュンプケという偽名を用いて、エイナール・ペテルスン=シェムトクヴィストという架空の探検家がハイアイアイ群島という架空の島で発見した「鼻行類」という架空の生物について、動物学の知見を駆使しながら論文の体裁を装いつつ大真面目なフリをして書いたものを、実在の動物行動学者日高敏隆が大真面目なフリをして訳したものです)。

日高敏隆の言葉に次のようなものがあります。

何が科学的かということとは別に、まず、人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。(日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』(集英社文庫))

なかなかに皮肉の効いた言葉ですが、フェイクニュースや陰謀論が跳梁跋扈する今の時代、しっかり心しておくべき言葉のような気がします。

先の引用のあと、日高はこう続けています。

そこをカバーするには、自分の中に複数の視点を持つこと、ひとつのことを違った目で見られることではないかと思う。(同)

日々の仕事の中でも、自分の思い込みに引っ張られてしまわないようにくれぐれも心がけていきたいと思います。

(ChatGPTに描いてもらった鼻行類のイメージ図)