ChatGPTでプログラム

こんばんは、スタッフのUです。

私が進学塾の講師をしていた頃、塾のテキストで説明が不足していると思われる内容に関してはできる限り補助プリントを作り配布してたのですが、プログラミングの能力がまったく無いので動的な教材は作ることができませんでした。

しかし先日、ある生徒さんに三角形の五心を教えていた際、「これを動的に見せる図を、ChatGPTにプログラムをしてもらえばいいのではないだろうか?」と思いChatGPTに頼んできました。

すると「オイラー線(※)」を可視化させるプログラムをものの数秒で作ってくれました。動画をうまくアップすることができませんでしたので写真を掲載しますが、頂点A, B, Cは自在に動かすことができ、「各辺の垂直二等分線と外接円」, 「中線」, 「各頂点から対辺への垂線」, 「オイラー線」は、個別に表示・非表示が切り替えられるようにしてもらっています。

自分がその理屈をちゃんと理解できていないのが少し後ろめたい感じもしますが、教材作成するためにはとても便利です。

仕事の中でも、ChatGPTなどをうまく使えば人間がするべき仕事にしっかりリソースを注力できそうですね。

(※)三角形の五心のうち、外心(O)・重心(G)・垂心(H)は三角形の形によらず、一直線上に並び(3点が重なる場合もありますが)、その線のことを「オイラー線」といいます。しかも重心Gは、外心と垂心を結んだ線分OHを必ず1:2に内分します。

おむすび?おにぎり?

こんばんは、スタッフのUです。

今、朝ドラ(NHKの「連続テレビ小説」)で、『おむすび』というドラマが放送されていますね。

さて、皆さんはあのお米を握ったものを「おむすび」と呼びますか?それとも「おにぎり」と呼びますか?それとも「にぎりめし」?

何をして呼び名が変わるのかについて、俗説では「関西では『おむすび』、関東では『おにぎり』」とする「地域」説、「俵形が『おむすび』、三角形が『おにぎり』」とする「形状」説など色々な説があるようですが(挙句は、「大きく握るのが『おむすび』、小さく握るのが『おにぎり』」とする「大きさ」説、「固く握ると『おむすび』、ゆるく握ると『おにぎり』」とする「力加減」説まであるそうで)、いずれもあくまで「俗説」に過ぎないようです。

文献上は、奈良時代初期の地誌『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』の中にある「握飯(にぎりいい)」が「おむすび/おにぎり/にぎりめし」に当たる料理の最古の記録と見られているようです。その「握飯」が「にぎりめし」に、あるいは「お」がついて「おにぎり」になったのは想像に難くないですが、「おむすび」は何が由来でしょう。一説には、『古事記』に登場する「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」と「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の「産巣日(あるいは「産霊」。読みはいずれも「むすび」。生産・生成を意味する言葉)」が由来とする説、人と人との良縁を結ぶという縁起の良い言葉としての「結び」から来たとする説など、これも複数の説があるようです。

NHKが行ったアンケートによると約90%の人が「おにぎり」という呼称を使っているようですので、今回の朝ドラでなぜ「おむすび」という呼称の方を使ったのかはわかりませんが、このドラマで描かれている阪神・淡路大震災が関係しているのではないかと思われます。

「おむすび」米田愛子役・麻生久美子「いろんな思いが押し寄せて、この気持ちが伝わるようなお芝居をしないといけないなって」 | ステラnet

この記事で主人公の母・米田愛子を演じる麻生久美子さんが「あそこ(震災後の避難所で、幼い結(磯村アメリ)がおむすびをもらうシーン)で結がおむすびをもらうところから、この物語が生まれたという話も伺っていた」とおっしゃっています。

「いや、それだけならタイトルは『おむすび』である必然性など無いじゃないか。『おにぎり』でもいいでしょう」と思われる方も多いと思いますが、あのドラマが阪神・淡路大震災を描こうとして生まれたドラマだとすると、タイトルが「おむすび」である必然性が出てきます。実は阪神・淡路大震災が起きた1月17日は、「一般社団法人日本記念日協会」によって「おむすびの日」と認定されているのです。「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」(事務局:兵庫県)が、ごはんのおむすびだけでなく人と人との心を結ぶ「おむすび」の日を作ろうと全国公募し、1995年に発生した阪神・淡路大震災でのボランティアによるおむすびの炊き出しが人々を支えたことから、いつまでもこの善意を忘れないために、大震災の起きた1月17日を「おむすびの日」として2000年に制定し、現在は「公益法人米穀安定供給確保支援機構」がその活動を引き継いでいるそうです(ちなみに「おにぎりの日」は6月18日)。

来年の1月17日は阪神・淡路大震災からちょうど30年。私が生まれてから今に至るまででも、新型コロナ・ウイルスのパンデミックも含め、生きて在ることの文字通りの意味での「有り難さ」を痛感させられることが何度かありましたが、人々の健康に資する立場の者として初心にかえり業務に取り組んでいきたいと思います。

ふたご座流星群

こんばんは、スタッフのUです。

本日12日夜から15日明け方にかけて、ふたご座流星群が見られるようですね(ピークは明日13日深夜から14日の明け方まで)。

これを読んでおられる方の中には「なぜある星座から流星が飛び出るタイミングを予測できるの?」と不思議に思ったことがある方もいらっしゃるかも知れません。

そもそも、この「ふたご座流星群」という呼び名自体に二つのミスリーディングがあります。

まず、「ふたご座」流星群と言いますが、ふたご座自体から流星が飛び出ているわけではありません(ふたご座を構成する恒星自体が互いに遠く離れていますしね)。この呼び名はあくまで、「ふたご座の方角」からの流星が見られる、という理由で付けられたものです。

そしてもう一つ、「流星群」と言いますが、流れているのは「星」ではありません。

この「流星」の正体を明かせば、それがそのまま先の疑問に対する答えにつながります。

地球の公転周期上には、同じく太陽のまわりを回る彗星(あるいは小惑星)が宇宙空間に放出したチリの粒(直径数mm)が残っています。このチリが特に密集したところを地球が通過する際、チリが高速(秒速20〜70km)で地球の大気にぶつかり、チリの前にある空気が急激に圧縮されて高音・高圧になり、それによって大気がプラズマ化(注)し光を発します。あの「流星」に見えるものの正体は、チリとその周りの大気が発した光なのです。

つまり、地球の公転周期上に彗星や小惑星が残したチリが密集した地帯があるため、毎年同じ時期に特定の「流星群」が観測されるわけです。

流星群はいくつかありますが、大量の「流星」が観測される「三大流星群」は、1月初旬の「しぶんぎ座流星群」、8月中旬の「ペルセウス座流星群」、そして今回12月中旬の「ふたご座流星群」です。流星のもとになるチリを撒き散らした彗星あるいは小惑星を「母天体」と呼びますが、ふたご座流星群の母天体は、フェートンという、1.43年の公転周期をもつ小惑星です。

ここで新たな疑問を抱く方がいらっしゃるかも知れません。「ふたご座自体から流星が飛び出ているのでないことはわかったが、しかし、流星群はあたかも宇宙空間の一点から放射状に飛び出るように見えるがあれはなぜだ」と。

ここで少しイメージしてみていただきたいのですが、あなたは大きな駅のホームに立って、たくさんの電車が平行に駅に乗り入れてくるのを、電車の進行方向の側から観察しているとします。するとそれらの電車は、平行に走っているにもかかわらず、あたかも遠くの一点(遠近法でいうところの「消失点」)からこちらに向かって拡散しながら入ってくるように見えるはずです。

「流星」も同じです。地球の大気にチリは平行に飛び込みながら光を放ちますが、それを地上から観測している私たちの視点からは、遠くの一点から放射状にそれらが飛んでいるように見えるだけなのです。「ふたご座流星群」の場合、その一点(「放射点」と呼びます)がふたご座の位置に重なるため、そのように呼ばれているのです。

流星を多く見られる貴重な機会ですが、今回は空に月も出ていますので少し見づらいかも知れませんね…。

もし見ることができれば、ここを見てくださっている皆様と、私たち自身の健康をお祈りしたいと思います。突然冷え込みが厳しくなってきましたが、皆さん、どうか風邪など引かれませんように。コロナに関係なく、手洗いとうがい(できれば鼻うがい)は忘れずに。

(注)プラズマ化:気体に熱や電気エネルギーを加えると、気体の分子が原子に解離して、さらに温度が上昇すると電子が原子から離れ、中性分子とイオンが混在した、非常に活性化した状態になります。これが、固体・液体・気体以外の「物質の第4の状態」とも言われる「プラズマ」です。

平面図形の求積(その1) 解答編

こんばんは、スタッフのUです。

前回、平面図形の求積の問題を出題しました(内容はこちらでご確認ください)ので、今回は「解答編」です。

この問題を、三角比などを使わず受験算数の知識だけで解く上での大きなヒントは、仮定にある「BA=AD=DCで,∠BAC=∠ADC=150°」です。辺の長さと内角が等しいということで「正多角形の一部を切り取った図形」の可能性に気付けばしめたものです。一つの内角が150°の正多角形は正十二角形ですので1)、この四角形ABCDは下図のような正十二角形の一部を切り取った図形だとわかります。

この正十二角形に外接する円と、円の中心Oと各頂点を結んだ半径を書き込むと下図のようになり、正十二角形が頂角30°の二等辺三角形2)12個に分割できます。

すると四角形ABCDの面積は、下図の緑の二等辺三角形3つの面積の合計から、黄色の三角形OBCの面積を引いて求めることができます。しかし、それらの面積を求めるためにはこの円の半径の長さがわからなければなりません。

そこで問題文のもう一つの仮定に注目すると「対角線BDの長さが2cm」とあります。円の中心Oと頂点B,Dを結んでできる三角形OBDは頂角の∠BODが60°の二等辺三角形、つまり正三角形になります3)ので、この円の半径はBDの長さと等しく2cmだとわかります。

また二つ上の図の緑の二等辺三角形3つの面積ですが、1つの形は下図のようになっていますので、

DからOCに垂線を引きその足をHとすると、下図のように内角が30°,60°,90°の三角定規の形の直角三角形ができます。前回ヒントとして記したように、DHの長さはDOの長さの半分4)ですので、1cmとわかります。

よって緑の二等辺三角形1つの面積は2×1÷2=1(cm2)とわかります。

また黄色の三角形OBCは直角を挟む二つの辺の長さが2cmの直角二等辺三角形なので、面積は2×2÷2=2(cm2)です。

以上より、求める四角形ABCDの面積は、

(緑の二等辺三角形3つの面積の合計)-(黄色の三角形OBCの面積)

なので、1×3-2=1(cm2)

です。

いかがでしょうか。

仕事の合間の息抜きに、頭をできるだけ使わず休めるようにするのもいいですが、たまにはこのように別の頭の使い方をしてみてもよい刺激になるかもしれません。

1) ある正多角形の一つの内角が150°ならば、一つの外角は180°-150°=30°です。正多角形の外角の和は360°なので、一つの外角が30°の正多角形は360°÷30°=12で正十二角形とわかります。

2) 例えば図の三角形OABはOAとOBがいずれも円の半径で等しいので二等辺三角形です。

3) 頂角が60°の二等辺三角形の二つの底角は(180-60)÷2=60°で、3つの内角がすべて等しいので正三角形です。

4) 下図のように3つの内角が30°,60°,90°の直角三角形ABCに、ABを対称軸として線対称な三角形ABC’を描き加えると、三角形ACC’はすべての内角が60°なので正三角形です。そこでBCの長さを1とすると、CC’はBCの長さの倍の2となり、それがこの正三角形の一辺の長さ(CC’,AC,AC’)なので、ACとBCの長さの比は2:1となります(これは、中学受験の進学塾などでは教えている知識です)。

November

こんばんは、スタッフのUです。

以前「September」という記事を挙げましたが、本日は「November」です。

今日ぼんやりと「『November』ってたしか、ローマ暦で9番目の月って意味だったな。ということは、『novem』って、フランス語の『neuf(9の意味)』と同じ系列の単語なんだろうか。でも、フランス語で『neuf』って『新しい』の意味もあるよな。そういえば、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンの著作『新機関』ってラテン語の原題は『Novum Organum(ノヴム・オルガヌム)』だったっけ。ひょっとしてラテン語まで辿ると『9』と『新しい』って同じ語源になるのか?」などと思って調べてみました。

するとどうやら結論としては「否」。「9」の意味の「neuf」の語源はラテン語の「novem」、「新しい」の意味の「neuf」の語源はラテン語の「novus」。フランスでは、この異なる語源の言葉が入ってきて、同音異義語「neuf」になったようです。

ちなみに『Novum Organum』で、形容詞「novus」が「novum」に変化しているのは、後続の名詞「organum」の性・数(中性・単数)に一致させたためです。

ひょっとするとこれを読んでいる方の中に、「フランス語の『新しい』って『ヌーヴォー』じゃなかったっけ?」とか「『ヌーヴェル』じゃなかったっけ?」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。アール・ヌーヴォーやボジョレー・ヌーヴォーやヌーヴェル・ヴァーグなどでおなじみのアレですね。「ヌーヴォー=nouveau」あるいは「ヌーヴェル=nouvelle」は「今度の」という意味の「新しい」で、「neuf」は「新品の」という意味の「新しい」です。

ちなみにレオス・カラックスの映画『ポンヌフの恋人(Les Amants du Pont-Neuf)』(1991年)の「ポンヌフ」は「Pont-Neuf(「新しい橋」の意味)」という、パリに現存するパリ最古の橋(「新しい」のに「最古」!)ですが、映画で写っているポンヌフは実際のポンヌフではなく、南フランスのモンペリエに作られた壮大なパリの街並みのセットの一部なのですが、この話はまた機会があれば(興味のある方は「ポンヌフの恋人たち セット」で調べてみてください。かなりとんでもない逸話があります…)。

だいぶ脱線してしまいましたが、語源などを調べてみるのも面白いものですね。新しい情報が爆発的に増えていく時代に私たちは生きていますが、人間というもの自体はそんなに大きくは変わっていないと思いますので、「温故知新」の姿勢も依然大切ですね。私たちも「故(ふる)きを温(たず)ねる」姿勢を忘れないようにしたいと思います。