JR福知山線脱線事故から20年

こんばんは、スタッフのUです。

この4月25日でJR福知山線脱線事故から20年です。

福知山線脱線事故でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の方々に心よりお悔やみを申し上げます。また、お怪我をされた方々、心に傷を負われた方々、またそのご家族の皆様にも心よりお見舞い申し上げます。

私は当時も今も兵庫県の伊丹市に住んでいるのですが、あの日はJR新大阪駅の近くで仕事があり、家からの最寄りのJRの駅である福知山線の猪名寺(いなでら)駅という駅に向かいました。駅に着いてみるとなぜか停電。改札前で数名の人が駅員と話しており、駅員曰く「この先で脱線事故があったのでしばらく電車は動かない。他の電車に振り替えてほしい」とのこと。脱線といってもその時は脱輪程度のイメージしか描いていなかったのですが(当時はスマートフォンがなかったので、今のようにリアルタイムで写真付きのニュースを見ることなどできませんでした)、急ぎだったのでとりあえず阪急電車の駅に向かい、阪急電車と地下鉄を乗り継いで新大阪に向かいました。

仕事がひと段落して昼休みに携帯を見てみると遠方に住む友人数名から「U、大丈夫か?」、「まさかあの電車乗ってないよね?」というメッセージが届いていました。きっと今朝聞いた脱線事故がニュースになっているんだなと思い、そのうちの一人に「こっちは状況がまだ掴めてないんだけれど、そんな大事故になってるの?」と尋ねてみると、「電車がマンションの駐車場に突っ込んでいる」との返事。そのときもまだ、脱輪した電車がそのまま走行し続けて近所のマンションの駐車場まで突っ込んでしまったのかな」ぐらいに思っていましたが、仕事を終えて再び新大阪駅に向かうと駅の売店には既に夕刊紙が並んでおり、その一面に載った事故の写真を見たときにはさすがに我が目を疑いました。電車がマンションに張り付くような形で完全にぺしゃんこに。あの電車は快速電車で、私が向かった猪名寺駅には止まらないのであの電車に乗る可能性は無かったわけですが、ゾッとしたことを覚えています。

本当に世の中、何が起きるかわかりません。やりたいことは生きている間にしなければなりませんね。私たちも日々目の前の仕事にしっかり専念していきたいと思います。

指数の話 その1 倍々ゲーム

こんばんは、スタッフのUです。

前回の「マグニチュード」の投稿の中で、「自然現象の中には指数関数的な変化を見せるものがたくさんありますし、人間の感覚器での刺激の感じ方は対数関数的です」と書きましたが、今回はその話の続きです。

今日はまず指数関数の基本として指数の話から。

指数とは例えば「23(2の3乗)」の「3」のように、ある数を何度かけ合わせるかを示すものです。

具体的には、

21=2

22=4

23=8

24=16

というように指数の数が1増えるごとに、得られる値は2倍になっていきます。

ここで、この指数関数的な増え方の威力を示す話をご紹介します。

一つは、豊臣秀吉と、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として仕えたといわれる曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)にまつわる逸話。

ある日、秀吉から褒美をもらえることになった新左衛門。秀吉から「なんでも欲しいものを言え」と促された新左衛門は「では1日目は米を1粒、2日目は2粒、3日目は4粒、4日目は8粒…というように1ヶ月間まいにち前の日の倍の米粒を与えてください」と答えました。

「なんと謙虚な。そんなことでいいのか。」

と秀吉は二つ返事で許可しますが、これが実はとんでもないことになるのです。

上の要領でいくと10日目は210-1=29=512(粒)、

14日目には214-1=213=8192(粒)。升1杯に入れたお米(1合)が生米でだいたい6700粒ぐらいですので、それを少し超えるぐらいです。

そして、20日目には220-1=219=524288(粒)(80合弱)。

10日目ぐらいならば大したことないように感じましたが、そろそろ嫌な予感がしてきますね。

23日目には223-1=222=4194304(粒)。これは米俵1.5俵(重さで約90kg分)ほどの量に相当します。

翌24日目にはその2倍の約3俵、25日目にはさらに倍の約6俵、26日目にはさらにその倍の12俵と倍々になっていき、30日目にはついに約200俵(5億3687万912粒、重さで約12トン!)近くのお米の量になるのです。これは石(こく)の単位で測れば(1石=1000合)、80石となります。秀吉が当初「謙虚」と思っていたのが、とんだ見込み違いだったことがわかります(逸話では、この要求がとんでもないものであることに途中で気付いた秀吉が、他の褒美に変えてくれと申し出た、ということになっていますが、これはあくまで創作の話のようです)。

「はじめは大した量じゃないと思ったが、なんと米200俵もの量の褒美になるのか!」

と思われた方、それはあくまで「30日目の量」であることにご注意ください。1日目から30日目までのすべての量を合計すると、400俵近い量になります。

ちなみにもしこの要領で50日目まで褒美をもらうことにすると、50日目には562兆9499億5342万1312粒で、重さにして1260万トン。令和6年の日本の主食用の米の生産量が700万トン弱なのでそれを遥かに超える量になります。

「厚さ0.1mmの紙を42回折ると月に届く」という話もありますが、これはまた次回に。

ひょっとするとここで新型コロナウイルスの際の感染爆発を思い浮かべた方々もいらっしゃるかもしれませんが、実際ウイルスの感染者数の増加も指数関数と無縁ではありません。医学が扱う諸現象にも数理的に記述できる要素が数多くあります。知識をアップデートし続けていくことももちろん大切ですが、数理的な知識もブラッシュアップし続けていきたいと常々思っています。

マグニチュード

こんばんは、スタッフのUです。

3月28日、ミャンマーでマグニチュード7.7の地震がありました(リンク先のニュース記事は発災日の28日のものです)。

ミャンマーで地震 144人死亡732人けが タイでも死傷者【28日】 | NHK

心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早く平穏な生活に戻られますことををお祈り申し上げます。

さて、本日はこのマグニチュードの話です。

マグニチュードとよく混同されるものとして「震度」がありますが、「マグニチュード」は地震そのものの大きさ(規模)を表しているのに対し「震度」はある場所での地震による揺れの強さを表しています。ですので、一つの地震に対して「マグニチュード」は一つですが、「震度」は場所によって異なる数値をとります。また「マグニチュード」は物理学的に数式で計算されますが、「震度」は地表などに設置した震度計による観測値ですので地盤や地形などの影響を受けますし、同じ市町村でも場所によって震度が異なる場合もあります(これもよくある勘違いですが、日本の場合、「震度」は実際に起きた被害状況から導き出されるものではなく、震度計による計測結果です)。

ちなみにマグニチュード(M)と地震が持つエネルギー(E,単位は「J (ジュール)」)の関係式は以下のようになっています。

1.5 M = log 10 E - 4.8

log、つまりマグニチュードはエネルギーの自然対数(10を底とした対数)から求められるわけです。これを log を使わず指数を使って書き直すと以下のようになります。

E = 10 4.8 + 1.5 M

では、マグニチュードの大きさが2違うと(例えばマグニチュード7.0と9.0)地震のエネルギーの大きさとしてはどれだけ変わるかわかりますか?実は1000倍ものエネルギーの差となります。

例えばマグニチュード7.0の地震のエネルギーをE7.0、マグニチュード9.0の地震のエネルギーをE9.0とすると、先の計算式より、

E7.0 = 104.8 + 1.5 × 7.0 = 1015.3   … ①

E9.0 = 104.8 + 1.5 × 9.0 = 1018.3 = 103+15.3 = 103 × 1015.3 = 103 × E7.0 ( ①より ) = 1000 × E7.0

となり、ちょうど1000倍であることがわかりますね。では、マグニチュードが1違うと地震のエネルギーはどれだけ違うでしょうか?1000倍の半分の500倍ではありません。1000の正の平方根の約32倍の違いとなります。

高校時代に指数関数・対数関数を習ったときに「こんなもの一体どこで使うんだ?」と思われた方も多いのではないかと思いますが、自然現象の中には指数関数的な変化を見せるものがたくさんありますし、人間の感覚器での刺激の感じ方は対数関数的(刺激の強さの「差」で捉えるのでなく刺激の変化の「比」で捉える)です。この話はまたあらためて。

私たちが組んでいるプログラムの背景にも数学が潜んでいます。数学の強み、数式で捉えることの強みを常に意識しながら、より良いプログラムをこれからも作成していきたいと思います。

東日本大震災から14年

こんばんは、スタッフのUです。

昨日は3月11日。東日本大震災から14年です。

地震が起きた時、私は当時働いていた兵庫県西宮市の塾で仕事をしており、補助プリント作成の作業に集中しようと別室にこもり黙々と作業をしている最中でした。ノートパソコンとにらめっこしながらキーボードでカタカタと打ち込んでいるとふとめまいの感覚が。当時私は、頭を下げてグッと集中している際たまに軽いめまいを起こすことがあったのでその時もそれかと思ったのですが、いつもなら頭を上げればおさまるめまいがその日はおさまらず、なおぐらーんぐらーんと大きく揺れる感覚が残りました。

「あれ?これはめまいじゃないな?ひょっとして地震?」

と思い、部屋の外に出て職場の同僚たちに「いま揺れました?」と尋ねるとみんな「いや、特に何も感じませんでしたけど?」という返事。「私の気のせいだったのか?」と思い、ニュースサイトを見てみると「三陸沖で地震」というニュース速報が。

「え?東北地方の地震で、ここ(兵庫県西宮市)まで揺れるって一体震源地近くはどうなってるんだ??」

と、とんでもない規模の地震を想像してゾッとしましたが、そのあと接することになるニュースはその予想を遥かに超えるものばかりでした。

あれから14年。あの年に生まれた子たちがもう中学生。震災について語られる機会も減り記憶も徐々に薄れていくということは仕方がないことではありますが、震災直後に語られた「津波てんでんこ(昔の津波の経験から得られた教訓で、「津波が来たら各自てんでんばらばらに高台へ逃げろ」という意味)」や「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて(釜石市唐丹町の津波記憶石に刻まれた言葉)」などの教えはしっかり語り継いでいく必要があると思います。

科学技術の発展によって日々の暮らしは色々な面で刷新されていきますが、かといって昔の知恵が役立たずになるわけでは決してありません。私たちも最新の技術を使いながら先人が積み上げてきた知識や知恵を皆さんのお役に立てるような形で提供し続けていきたいと思います。

ひつじがいっぴき

こんばんは、スタッフのUです。

先日の夜、なかなか寝付けなかったときに、

「そういえば、眠れないときに羊を数えるのってなぜだろう。坐禅でいう数息観(すそくかん)のようなものかな?しかし、それにしてもなぜ羊?」

と思い調べてみると、過去にNHK総合『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられていたようです。

眠れないときに数えるのはなんで“ヒツジ”なの?|ステラnet

曰く、英語の「sleep(眠る・眠れ)」と「sheep(ヒツジ)」の発音が似ていたことから始まったという説。これは「シープ、シープ、シープ…」と言い続けることが「スリープ(眠れ)、スリープ、スリープ…」という自己暗示のようになる、ということでしょうか??

また「sheep」と発音する際には長く息を吐くことになるので、それで副交感神経が優位になり眠りやすくなる、という要素もあるのだとか。ということは、頭の中で数えるだけでなく実際に口に出して数えなければならないわけですね。ちょっとハードルが上がってしまった気がします…。

その説が正しいなら、日本語で「ひつじがいっぴき、ひつじがにひき…」と頭の中で唱えることには入眠促進の効果は見込めないということになります(番組では実際に「シープ、シープ…」と言い続けた場合と「ひつじ、ひつじ…」と言い続けた場合の比較実験をしたようですが、標本数=1ですし、おそらく被験者が実験の内容を意識しながら臨んでもいたでしょうからあまり当てにはならなさそうですね…)。

以前AmazonPrimeビデオで『ひつじがすき 日本のひつじ牧場』というドキュメンタリー(?)映画を観たことがありますが、これの後半10分ほどのところに「眠れぬ夜のひつじ100匹」という、羊たちの映像に、憂いを帯びた男性の声でひつじを数えるナレーションが入っている特典映像(?)がありますので、もし興味があれば上のタイトルのところのリンクからご覧ください。

しかし、「シープ、シープ…」と声に出し続けると頭が覚醒してかえって入眠の妨げになるという研究結果もあるようです。

YouTubeなどで静かな自然の音を聞いたり(海や川や雨降りの音だけを長時間流す動画がたくさんあります)するほうが眠りやすいかもしれませんね。

気温差が激しく疲れの出やすい時期です。しっかり睡眠をとって養生していきましょう。「春眠暁を覚えず」というように、夜にしっかり眠っているにもかかわらず昼にもまた眠くなりやすい時期ですが、私たちもしっかり夜の睡眠の質を向上させ、日々の仕事に勤しんでまいります。