割合

こんばんは、スタッフのUです。

私は某所で、主に大人の方に算数・数学の個別指導をしていますが、そこに初めて来られる方の悩みで圧倒的に多いのが「割合がわからない」というものです。

そこで算数の教科書を開いてみると、そこには「もとにする量」と「比べられる量」と「割合」の関係が書かれており、「割合がわからない場合」、「比べられる量がわからない場合」、「もとにする量がわからない場合」のそれぞれの求め方が線分図などを使って書かれています。このやり方で理解できる方はそれでいいですが、多くの方は「どれが『もとにする量』で、どれが『比べられる量』だ?」と混乱してしまうのではないかと思います。

そこで私は以下のように説明するようにしています。

まず

「割合とは、二つの量を比べて、一方がもう一方の何倍かを表したもの」

です。

たとえば、6と2を比べて6が2の何倍かを表したもの(この例の場合は「3倍」)が割合ということになります。

ですので、この例でもわかるように、割合に関わる文は(詳細の表現は様々ですが)単純化すると必ず

「Aは(が)BのC倍」(Cの数字が分数の場合は「倍」の文字が省略される場合があります)

という形になります。

この文の「は(が)」を「=」に、「の」を「×」に書き直すと、

「A=B×C」

という数式になります。

上の具体例で言えば、「6は2の3倍」という文の、「は」を「=」に、「の」を「×」に書き換えることで、「6=2×3」という数式になります。

この具体例ではあまりピンと来ないかも知れませんが、この知恵を使って「3は12の何倍か」のように、割合(何倍か)を求める問題を考えてみます。この問題を生徒さんに出してみると、かなりの頻度で「4倍」という答えが返ってきます。問題の中の大きい数字(12)を小さい数(3)で割ったわけです。私たちが初めて割り算を習ったときに当たり前だった、「大きな数を小さな数で割る」という刷り込みの根強さを感じます。しかし、これは元の文に当てはめてみるとすぐおかしいことに気づきますね。「3は12の4倍」というのは明らかにおかしいです。

ここでさっきの知恵を使います。「3は12の◯倍」という文の、「は」を「=」に、「の」を「×」に書き換えると、「3=12×◯」という数式になります。

ここで、◯の数字を求める求め方がわからなくなる方もいらっしゃいますが、何事も「わからなくなったら基本にかえる」ことが大切です。

この式と同じ形の、「6=2×3」という式で、3の部分がわからない場合、つまり「6=2×◯」という虫食い状態の式のとき、残りの6と2という数から◯に当てはまる3をどう計算するかを考えてみると、「=」の前の「6」を、「×」の前の「2」で割ればよいことがわかると思います。

それならば先ほどの「3=12×◯」で◯を求める場合も同様に、「=」の前の「3」を、「×」の前の「12」で割ればよいのですから、◯の値は0.25(分数だと1/4)だとわかります。こう考えれば、どれが「もとにする量」,「比べられる量」かを意識せずに割合について考えることができます。

様々な教科書は、学問としての正確さ(誤解の余地の無さ)を期して書かれますので、用語はかえってわかりづらくなりがちですが、理解のためにはときに自分なりの言葉で捉え直すことも必要ですね。これだけ新しい科学技術が発展してくると、用語を表面的に追うだけでなく、ちゃんと自分なりに消化して自家薬籠中のものにしていくことが大切だなと、常日頃の業務で痛感いたします。

突然ですがクイズです(解答編)

こんばんは、スタッフのUです。

先週のクイズ、答えはわかったでしょうか?

先週のブログをご覧になっていない方のため、問題を再掲いたします。

—-以下、問題—-

以下は、かつて大学でクラスメイトだったA,Bの2人が、

久しぶりに会った時の会話です。

A「お互いずいぶん年をとったもんだな。」

B「まったくだ。」

A「私は今では3人の子持ちだよ。」

B「へぇ、そうかい!何歳の子たちなんだい?」

A「えっとね…あ、じゃあヒントを3つあげるから、それぞれの子の年齢を当ててみないか?」

B「おぉ、面白そうじゃないか。やってみよう。」

A「よし。じゃあ1つ目のヒントだ。『私の子どもたちの年齢をすべてかけると、その積(かけ算の答え)は36になる』。」

B「うぅん…それだけでは全然わからないな。ちなみに双子とかはいるのかい?」

A「その可能性もあるね。」

B「うむ、選択肢がさらに広がったぞ…。次のヒントをくれ。」

A「じゃあ、2つ目のヒント。『子どもたちの年齢をすべてたすと、その和(たし算の答え)は私たちが大学時代いっしょに暮らしたアパートの部屋番号と同じである』。」

B「ほぉ、それは大きなヒントだな。で、3つ目のヒントは?」

A「3つ目のヒント。『一番上の子だけ左ききである』。」

B「よし!わかった!」

この会話から3人の子どもたちの年齢を当ててください。

ちなみにBさんはアパートの部屋番号を覚えていたものとします。

—-以上—-

多くの方がきっとこう思われたことでしょう、

「あんたらのアパートの部屋番号なんか知らんがな!?」

「『左きき』の情報でなんで年齢がわかるねん!?」

と。

この問題の最大のポイントは、

「なぜBさんは2つ目のヒントで答えることができなかったか」

です。

以下、Bさんの立場に立って考えてみましょう。

まず、1つ目のヒントにもとづいて、積が36になる3つの整数の組み合わせを挙げてみます。

(1,1,36)

(1,2,18)

(1,3,12)

(1,4,9)

(1,6,6)

(2,2,9)

(2,3,6)

(3,3,4)

Bさんもこれをせっせと書いたはずです。

次に、「アパートの部屋番号」という情報はともかく、2つ目のヒントで「年齢をすべてたす」と言っていますので、先の整数の組み合わせそれぞれの和を求めてみましょう。

3つの整数の組み合わせ   3つの整数の和

(1,1,36) →→→→→→→→→ 38

(1,2,18) →→→→→→→→→ 21

(1,3,12) →→→→→→→→→ 16

(1,4,9)   →→→→→→→→→ 14

(1,6,6)  →→→→→→→→→ 13

(2,2,9)  →→→→→→→→→ 13

(2,3,6)  →→→→→→→→→ 11

(3,3,4)  →→→→→→→→→ 10

ここまでBさんも同じ作業をしたはずです。

さて、もしここでBさんがアパートの部屋番号を覚えているならば、Bさんは2つ目のヒントの時点で

「よし!わかった!」

と言っているはずです。

例えば、二人が住んでいたアパートの部屋番号が「16」だったならば、和が16になる組み合わせは

(1,3,12)

の「一通りだけ」しかありませんので、3つ目のヒントをもらうまでもなく答えは確定できるはずです。

それがなぜ「なぜBさんは2つ目のヒントで答えることができなかったか」

そう、

「和が、アパートの部屋番号と同じになっているものが複数あったから」

です。

上のリストを見ると、和で複数回登場しているのは

「13」

しかありません。

つまり、アパートの部屋番号が「13」だったから、Bさんは2つ目のヒントの時点で答えを確定できなかったわけです。

よって、3人の子どもの年齢の組み合わせは、和が13になる

「1歳,6歳,6歳」

「2歳,2歳,9歳」

のいずれかということになります。

ここで3つ目のヒント、

『一番上の子だけ左ききである』

「左きき?はぁ??」

という気分ですよね。

でも、ここで大事なのは「左きき」という情報ではないのです。大事なのはその前の

「一番上の子だけ」

という表現。

「一番上の子だけ」

ということは

「一番上の子は一人だけ」

つまり

「双子ではない」

ということなのです。

よって、

「1歳,6歳,6歳」

が候補から消え、

「2歳,2歳,9歳」

が答えということになります。

いかがでしょう?わかりましたか?

突然ですがクイズです(問題編)

こんばんは、スタッフのUです。

このブログの内容や形式は特に決まっていませんので、今回は、突然ですが以下のようなクイズを考えてみてください。

—-以下、問題—-

以下は、かつて大学でクラスメイトだったA,Bの2人が、

久しぶりに会った時の会話です。

A「お互いずいぶん年をとったもんだな。」

B「まったくだ。」

A「私は今では3人の子持ちだよ。」

B「へぇ、そうかい!何歳の子たちなんだい?」

A「えっとね…あ、じゃあヒントを3つあげるから、それぞれの子の年齢を当ててみないか?」

B「おぉ、面白そうじゃないか。やってみよう。」

A「よし。じゃあ1つ目のヒントだ。『私の子どもたちの年齢をすべてかけると、その積(かけ算の答え)は36になる』。」

B「うぅん…それだけでは全然わからないな。ちなみに双子とかはいるのかい?」

A「その可能性もあるね。」

B「うむ、選択肢がさらに広がったぞ…。次のヒントをくれ。」

A「じゃあ、2つ目のヒント。『子どもたちの年齢をすべてたすと、その和(たし算の答え)は私たちが大学時代いっしょに暮らしたアパートの部屋番号と同じである』。」

B「ほぉ、それは大きなヒントだな。で、3つ目のヒントは?」

A「3つ目のヒント。『一番上の子だけ左ききである』。」

B「よし!わかった!」

この会話から3人の子どもたちの年齢を当ててください。

ちなみにBさんはアパートの部屋番号を覚えていたものとします。

—-以上—-

「なんじゃ、これ?こんなのでわかるのか?」とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、解答編は次回に!来週までゆっくり考えてみてください。

『春の祭典』

こんばんは、スタッフのUです。

私、『春の祭典』を観に行くことになりました!

そう、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)が作曲し、ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)が振付をし、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)がシャンゼリゼ劇場の柿落とし公演(1913年)で演じたバレエ作品の『春の祭典』です。

当時の振付を再現した動画がYouTubeにアップされていました。

現代的な感覚で言っても、とてもバレエとは思えない振付で、バレエ・リュスによる初演時に客席が騒然となった(一部では、暴動同然だったという説も)という伝説もうなずけます。

私が観に行くのはニジンスキーによる振付のものではなく、ピナ・バウシュ(1940-2009)の振付による『春の祭典』です。

これは、あのヴィム・ヴェンダースが監督したピナ・バウシュのドキュメンタリー映画『Pina / ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年)の予告編ですが、この0:20〜0:29と1:19〜1:24で映っている、砂を敷き詰めた舞台上で演じられているのが、ピナ・バウシュが芸術監督と振付を務めたヴッパタール舞踊団による『春の祭典』です。

もっとも、今回私が観に行くのはヴッパタール舞踊団によるものでもなく(こんなのばかりですね…。すいません…)、アフリカ13か国から結集したダンサーたちによるものです。

PARCO presents ピナ・バウシュ「春の祭典」、「PHILIPS 836 887 DSY」/ ジェルメーヌ・アコニー「オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ」来日公演 | PARCO STAGE

形を変えながら、それぞれの時代それぞれの社会の中で命脈をつないできた文化の力に触れてきたいと思っています(と言っても2ヶ月後ですが)。

かつて、カナダの内科医ウイリアム・オスラー(1849-1919)は

“The practice of medicine is an art, not a trade; a calling, not a business; a calling in which your heart will be exercised equally with your head.”

つまり「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。すなわち、頭と心を等しく働かさなければならない天職である」と言ったそうです。

この「アート(art)」という言葉は「芸術」、「技術」、そして「人文学((liberal) arts)」のどの意味合いでもとり得る気がしますが、私たちも常日頃からそれらの「アート」を意識しながら仕事に取り組んでいきたいと思っています。

エルニーニョ

こんばんは、スタッフのUです。

今日こんなニュースを見かけました。

「エルニーニョ現象 終息とみられる」夏は高温予想 気象庁 | NHK

エルニーニョ現象は、太平洋の中部から南米ペルー沖にかけて、海面水温が平年よりも上がる現象のことで、一度発生すると半年から1 年ほど続きます。

このエルニーニョ現象が昨年の春から続いていたのですが、最新の観測で海面水温が下がっているということで、昨日気象庁がエルニーニョ現象が終息したと見られる旨を発表したようです。そして、夏から秋にかけてはラニーニャ現象(エルニーニョ現象の逆で、太平洋中部から南米沖の海水温が通常より低くなる現象)が起きる可能性もあるようです。

エルニーニョが終息、秋にラニーニャで猛暑か 気象庁 | 日本経済新聞

こんな、日本から遠く離れた海の水温の情報がなぜ日本でニュースになるかといえば、エルニーニョ現象もラニーニャ現象もいずれも異常気象の原因となることが知られているためです。エルニーニョ現象の場合は、太平洋や北米では通常の年より気温が高くなったり大雨が降ることがあり、日本では夏に雨が増えて涼しい日が続いたり冬には暖かくなりやすくなります。またラニーニャ現象の場合、太平洋地域での乾燥、東南アジアでは豪雨、日本では夏は猛暑になりやすく冬は大雪が降ることもあります。

ちなみにこの「エルニーニョ」も「ラニーニャ」もどちらもスペイン語で、インターネットで見ると「『エルニーニョ(El Niño)』は『男の子』、『ラニーニャ(La Niña)』は『女の子』の意味」と書いているところが多いですが、元々「エルニーニョ」に関しては、毎年12月ごろに南米のペルーとエクアドルの国境付近の海水温が上昇することがあり、それがクリスマスの時期であることから地元の漁師がその現象を「神の子」イエスを意味する「エルニーニョ(El Niño)」と呼んでいたのが元になっているようです。ですので、「男の子」と言っても英語で言えば「The Boy」、つまり特定の男の子=神の子・イエスなわけですね。

「ラニーニャ現象」のことをかつては、「エルニーニョの反対」ということで「アンチ・エルニーニョ」と呼んでいたこともあったのですが、エルニーニョに上記のような語源があるため、「アンチ・エルニーニョ」としてしまうとアンチ・キリスト的なニュアンスが含まれてしまうということで、「The Boy」の逆ということで「The Girl」を意味する「ラニーニャ(La Niña)」と呼ばれるようになったそうです。

前々回の「台風1号」で書いた台風の命名の仕方もそうですが、命名も何かと気を遣いますね…。

この夏も猛暑になる可能性があるようですので、皆さん、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。